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六助の大帰省F 投稿者:六助 投稿日:1998年01月19日 23時55分
大糸線は数年前に長野の水害で一部が未開通のままであった。今年の9月に復旧したのである。そのなごりか,南小谷でワンマン電車に乗り換えることになる。
松本で遊んだ若者たちのほとんどが中間地点にあたる。信濃大町駅で降りてしまった。その直後に車窓から見える景色は雪模様に変わった。そして山の斜面からまばゆい輝きが目に飛び込んできた。どうやらスキー場のようだ。遠くにスキーで滑る人たちが見える。スキー場を過ぎていくと雪景色は一転して雨に変わった。もう外は真っ暗でずっとトンネルの中を走っているのではと勘違いしそうなほどである。終点の南小谷の駅について、次はワンマン電車に乗り換える。乗客は大きなバックを持った人たちばかりだ。
1車両ぴったりの乗客数だった。電車が静かに進み始める。静寂な時が過ぎていく。相変わらず外は真っ暗だ。ほとんどの人が眠りに着いていた。僕はそんな中、一人の女性を見ていた。失礼な言い方かもしれないが、あまりもこの景色に当てはまりすぎて、僕は奇妙な違和感を感じていた。窓の外を見ていた彼女もいつのまにか眠りについて、僕は読みかけの本を読み始めた。帰省になると僕は必ず小林紀晴氏の本を持っていった。最初はスタイルだけで持っていた、しかし読み始めて僕は彼の弱さに共感を覚えた。
アジアを違和感を感じながら旅する彼と、日本海を向かう僕、そこに答えがあるのかわからないが、少なくとも僕は進んでいる事を実感している。それはどこか自分を騙しているそんな感情に僕はあえておぼれていくそんな、脆さを日本海はどう嘲笑うのだろう。僕の瞼もそろそろシャッターが降りようとしている時、電車はいよいよ。北陸本線に合流していった。結局ワンマン電車の乗客達は誰一人途中下車するものもなく、ある人は新潟をめざし、そして富山を目指した。僕とそして違和感を感じた女性は富山に向かっていった。もしかしてという淡い気持ちもつかの間、宿泊先のある泊駅に到着し、そこに降り立ったのは僕一人であった。(つづく)

Re:六助の大帰省F 投稿者:こい 投稿日:1998年01月20日 23時29分
すごいね〜やっぱり・・・こんな文章おいらには書けない・・・
日本海のほうから帰ったのね〜
おいら電車にくわしくないので(^^;よくわからないの・・・
本読みながら電車に乗ると・・・酔っちゃう・・・おいら。
続きかっぁ〜長いね〜あいかわらず・・・(^^;

Re:六助の大帰省F 投稿者:六助 投稿日:1998年01月21日 02時12分
こいさん。ありがとね。。。
まだ初日も終わってない。。。
プロバイダー契約切れるまでに書けるだろうか。。(^^)